大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)45号 判決

一 請求原因事実中、原告らが特許権者である本件特許発明について、被告の特許無効審判の請求から審決の成立にいたるまでの特許庁における手続の経緯、発明の要旨及び審決理由の要点は、当事者間に争いがない。

二 本件の争点は、両者の添加物、すなわち、本件特許発明のジベンザルソルビツトと引用例に記載されたヂ・ベンザルソルビツト(以下、単に「引用例のヂ・ベンザルソルビツト」という。)とが別個の化合物かどうかの点のみにあるので、これについて考察する。

1 ジベンザルソルビツトの一般的意味

ジベンザルソルビツトが本件特許出願前から公知の化合物であつたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、乙第二号証ないし第四号証を総合すれば、ジベンザルソルビツトとは、一モルのソルビツトに二個のベンザル基が結合した化合物の総称であつて、その示性式は(C6H5CH)2・C6H10O6で表わされるが、ソルビツト自体にD―体とL―体とがあり、そのそれぞれにベンザル基の異なつた結合位置がありうるので、ジベンザルソルビツトの生成物には各種のものが存在すること、そして、その融点も、種類によつて一六〇度Cから二二一度Cの間に分布していて、ジベンザルソルビツト一般に共通した融点というものは存しないものであることが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

したがつて、本件特許出願当時において、単にジベンザルソルビツトと称しただけでは、当然には、その化学的構造や融点が一義的に特定されるものではなかつた。

2 本件特許発明のジベンザルソルビツト

原告らは、本件特許発明のジベンザルソルビツトは構造式及び融点の特定されたものである旨主張する。

しかし、当事者間に争いのない本件特許発明の要旨には、添加物として、単に「ジベンザルソルビツト」とあるのみであり、その明細書については、成立に争いのない甲第二号証(本件特許公報)によれば、発明の詳細な説明の項には、「ジベンザルソルビツトは、ソルビツトにベンザル基を結合せしめたもので、構造式は<省略>

である。」と記載されているほか、そのジベンザルソルビツトの融点や製造方法について全く記載されていないことが認められる。しかも、右に示された構造式は、ベンザル基を含まないことから、明らかに、その直前の「ソルビツトにベンザル基を結合せしめたもの」との説明と矛盾し、本件特許発明において右構造式の化合物を特に「ジベンザルソルビツト」と称したものと解すべき理由もないから、原告ら主張のように、何らかの誤記であると認めざるをえないけれども、その正しい構造式を示唆するような記載もその明細書中に見出すことができない。

ところで、前掲甲第四号証の一ないし三及び乙第三号証には、一、二、三、四ページベンジリデン―D―ソルビトールの融点が二一九ないし二二〇または二二一度Cである旨の記載、また、成立に争いのない甲第五号証には、「ゲルオールD」という商品名の化合物の融点が二二一度Cである旨の記載がそれぞれ存在するが、仮に、それらのものがジベンザルソルビツトに属する化合物であるとしても、本件特許発明のジベンザルソルビツトがそれらのもののみに限定されることを認めうる資料がない以上、右に示された各融点をもつて本件特許発明のジベンザルソルビツトの融点に該当するということはできない。

そして、他に、本件特許発明のジベンザルソルビツトが原告ら主張の構造式及び融点をもつて特定されるものであることについては、これを認めるに足りる証拠がない。

そうだとすると、本件特許発明の要旨にいう「ジベンザルソルビツト」とは、結局、前判示の一般的意味における総称としてのジベンザルソルビツトを指すものと解するほかなく、したがつて、その融点も、原告ら主張のような約二二〇度Cのものに限定される筋合はないというべきである。

なお、原告らは、本件特許発明の明細書について、ジベンザルソルビツトの融点を約二二〇度Cと加入することその他の事項を目的とする訂正審判を請求し、すでに請求公告の決定があつた旨主張するが、そのような事実があつても、本件に顕われたすべての資料のもとにおいてはなお、前示の判断に影響を及ぼすものということはできない。

3 引用例のヂ・ベンザルソルビツト

引用例に審決認定の記載があることは、原告らの認めるところであり、成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例には、添加物たるヂ・ベンザルソルビツトについて、ジベンザルソルビツトの示性式たる(C6H5CH)2・C6H10O6が明示され、そこに示された「ヂ・ベンザルソルビツトの合成」によつて得られた生成物の融点が一六一ないし一六二度Cである旨の記載があることが認められ、さらに、前掲乙第二号証によれば、引用例の執筆者が昭和二三年頃研究した結果、引用例に記載された融点一六一ないし一六二度Cのものは、ヂ・ベンザルソルビツトにトリベンザルソルビツトの混在したものであること、一般方法で作つたベンザルソルビツトを分離して得られたものの融点は、ヂ・ベンザルソルビツトが二一四ないし二一八度C、トリベンザルソルビツトが一八三ないし一八五度Cであつたことが認められる。

これらの事実に、前判示のジベンザルソルビツトの一般的意味とを対照してみると、引用例のヂ・ベンザルソルビツトが、その名称どおり、ジベンザルソルビツトの一種類であることは、疑う余地がないものといわねばならない。もつとも、成立に争いのない甲第八号証には、引用例に記載されたヂ・ベンザルソルビツトの合成を追試したところ、「微量のジベンザルソルビツト(ジベンジリデンソルビトール)を含有するモノベンザルソルビツト(モノベンジリデンソルビトール)が得られるだけで、ジベンザルソルビツトは得られなかつた。」旨の鑑定結果が記載されているが、その内容は、前掲乙第二号証の記載と対比し、追試の仕方、ことに、原料ソルビツト、反応条件、被水洗物、分析方法の差異等に徴し、にわかに採用することができない。

4 両者のゲル化作用上の差異

原告らは、本件特許発明のジベンザルソルビツト及び引用例のヂ・ベンザルソルビツトについて、ベンゾール及びトルオールに対するゲル化作用が反対である旨主張する。

まず、前掲甲第二号証によれば、本件特許発明の明細書の発明の詳細な説明の項には、「有機性液体としても種々なるものがある。すなわち、(中略)、芳香族炭化水素類としてはベンゾール、トルオール、キシロール等その種類は多いが、低級脂肪酸類を除いて、本発明を実施することによつて固化せしめられ、また、エーテルのように非常に固化し難いものもある。しかしながら、その場合においても、温度を下げることによつて一部固化せしめることができる。」との記載があることが認められ、確かに、明細書上、本件特許発明のジベンザルソルビツトによつて固化しうる有機液体の例示中にベンゾール及びトルオールが挙げられているが、他面、同じ芳香族炭化水素類に属するキシロールについて実施例(第1例)が示されているのに対し、ベンゾール及びトルオールについては、固化(ゲル化)作用を裏付ける実施例を欠いていることは、前掲甲第二号証から明らかである。

一方、引用例に記載されたヂ・ベンザルソルビツトのゲル化作用表に、ベンゾール及びトルオールがゲル化不能又は困難なものとして示されていることは、当事者間に争いがない。しかし、前掲甲第三号証によれば、引用例には、右表の直前に「下記数十種の物質につき定性的な実験を行ない、大体の一般的傾向を推測せんと試みた。本実験においてもゲル化を起さずと思いたるものも、溶解度との関係その他ソツクスレー抽出法あるいは溶解条件を異にすれば、なおゲル化を起しうる可能性があるが、およそ常温下における、また、ヂ・ベンザルソルビツトの濃度極めて少なき場合においての実験である。本報文は定性的実験であり、引続き定量的に研究中である。」との記載、右表の後の「実験結果の考察」と題する項に「ヒドロ芳香族系化合物は興味ある対象である。ヘキサリンの例では、他の場合のごとき少量濃度では容易にゲル化を起さず、一応はゲル化不能物質と思われるも、やや多くの量を加うるときは半透明型のゲルを生じ、脂肪族アルコールの挙動である。」との記載があることが認められるが、これらの記載からすれば、右表に示された結果は、「定性的実験」であると明記されているように、いわば大ざつぱな一応の実験によるものであるから、それにおいて、ベンゾール及びトルオールがゲル化不能又は困難とされていても、その事実が確定されたものとみることはできない。このことは、引用例と同一の執筆者による前掲乙第二号証には、ベンゾールがキシロール(これは、甲第三号証の表においてはゲル化を起すものとされている。)と同様に弱くゲル化する溶媒として挙げられていることからも裏付けられるものである。

右両者を対照してみると、ベンゾール及びトルオールに対するゲル化作用について、一応、本件特許発明の明細書と引用例とでは異なる記載があるけれども、それによつて両者のゲル化作用の性質が全く反するものであると断定することは、早計のそしりを免れない。また、仮に、有機液中ベンゾール及びトルオールについては両者のゲル化作用が異なるとの実験結果が出たとしても、前掲甲第二、第三号証によれば、その他の多数の有機液に対してゲル化作用を有する点では、本件特許発明のジベンザルソルビツトも引用例のヂ・ベンザルソルビツトも一致していることが認められるから、右の差異のある点のみに着目して、両者の化合物が別個のものであることの根拠としうべきものではない。

なお、前掲甲第九号証には、トルオール及びベンゾールに対するジベンジリデンソルビトール及びモノベンジリデンソルビトールのゲル化実験を行なつたところ、ジベンジリデンソルビトールが良好にゲル化したのに対し、モノベンジリデンソルビトールはゲル化不能であつた旨の鑑定結果が示されている。しかし、同号証によれば、右実験に使用された試料は各一種の化合物にすぎないうえ、その化学的構造も明らかにされていないことが認められるので、果して、その試料としたジベンジリデンソルビトール及びモノベンジリデンソルビトールがそれぞれ本件特許発明のジベンザルソルビツト及び引用例のヂ・ベンザルソルビツトに該当するものであるか疑問がないではなく、したがつて、右鑑定結果をもつて、直ちに両者のゲル化作用が反対であることを裏付けうるものとはいいがたい。その他、両者のゲル化作用について、原告ら主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

5 結論

以上判示したところを総合すると、結局、本件特許発明のジベンザルソルビツトは、引用例のヂ・ベンザルソルビツトを包含するものであつて、その間に格別の差異はないものということができる。

したがつて、本件特許発明と引用例のものについて、添加物たる化合物に差異がないとしたうえ、融点及び作用において異なるとの審判被請求人の主張を排斥した審決の判断は、いずれも正当であつて、これに原告ら主張の違法はない。

三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告らの本訴請求を失当として棄却することとする。

〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。

有機性並びに有機物含有液体にジベンザルソルビツトの適量を添加し、振盪又は加温して作用させることを特徴とする有機性並びに有機物含有液体の固化法

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!